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東京地方裁判所 平成4年(ワ)10928号 判決

原告

ハルヨシ・ユーエスエー・コーポレーション

右代表者チーフ・エグゼグティブ・オフィサー

阿部ハル子

原告

春好観光株式会社

右代表者代表取締役

阿部ハル子

右両名訴訟代理人弁護士

青木信昭

杉原正芳

被告

安田信託銀行株式会社

右代表者代表取締役

立川雅美

右訴訟代理人弁護士

渡邉昭

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告ハルヨシ・ユーエスエー・コーポレーションに対し、金六億二一四〇万三五七二円及びこれに対する平成四年七月一〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告春好観光株式会社に対し、金三億一六〇〇万円及びこれに対する平成四年七月一〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

原告春好観光株式会社(以下「原告春好観光」という。)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロスアンゼルス市郊外に所在する「ウッドフィン・スウィートホテル・オレンジ」というホテル(以下「本件ホテル」という。)を購入しようとし、被告との間で右購入に関するコンサルティング契約(以下「本件コンサルティング契約」という。)を締結したものであり、原告ハルヨシ・ユーエスエー・コーポレーション(以下「原告ハルヨシ」という。)は、原告春好観光が本件ホテルの買受けを目的としてアメリカ合衆国に設立した会社であって、その設立後直ちに、本件コンサルティング契約上の原告春好観光の地位を承継したものであるところ、原告らは、被告は、本件コンサルティング契約上の注意義務に違反して、

1  本件ホテルの当時の適正価格は約九三〇万ドルであったのに、原告らに対し必要な情報を与えず、売主の言い値である一四〇〇万ドルが適正価格であると原告らを誤信させて、原告ハルヨシに右金額で本件ホテルを買い受けさせる売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結させて、右売買価格一四〇〇万ドルと適正価格九三〇万ドルとの差額相当の損害を与え、

2  本件売買契約と不可分のマネジメント契約によって本件ホテルのマネジメントに当たることとなった会社(後記ウッドフィン・ホテル・マネジメント社)が、本件売買契約締結当時、その売主から業績不振を理由にマネジメント契約を解約されていたのに、原告らに対し、その情報を与えず、かつ、解約のためには高額の解約手数料を支払わなければならないという原告ハルヨシにとって一方的に不利な条件で新たなマネジメント契約を締結させ、その後右条件があることによって原告ハルヨシをして右マネジメント会社に対し解約手数料として六八万〇七八四ドルの支払を余儀なくさせ、もって、同金員相当の損害を与え、

3  本件売買契約と不可分の本件ホテルに関する収益保証契約についても、本来売買契約締結後三年間は毎年売買代金の九パーセント相当額である一二六万ドルの収益保証を得られるはずであったのに、被告が原告らの承諾なくして一二一万五〇〇〇ドルに減額させ、そのため、原告ハルヨシに三年間にわたって毎年四万五〇〇〇ドル、合計一三万五〇〇〇ドルの得べかりし利益を失わせた

旨を主張し、右被告の債務不履行を理由として本件コンサルティング契約を解除した上、被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、支払済みのコンサルティング手数料である四一万七一五〇万ドルを日本円に換算した金員の支払を求め、右債務不履行による損害賠償請求権に基づき、右1ないし3の各損害の合計五五一万五七八四ドルを日本円に換算した金員の支払を求め(原告ハルヨシはそのうち二〇〇万ドル分を原告春好観光に譲渡し、その分は同原告が請求しているものである。)、かつ、右各金員につき、訴状送達の日の翌日である平成四年七月一〇日から各支払済みまで年六分の商事法定利率による債務不履行解除の場合の法定利息ないし遅延損害金の支払を求めているものである。

一  争いのない事実等

1  原告春好観光は、ホテル経営を業とし、福島市所在の福島ワシントンホテルと、平成二年三月に開業した山形県天童市所在の天童ワシントンホテルを経営している会社であり、原告ハルヨシは、原告春好観光が本件ホテルの買収を目的として全額出資してアメリカ合衆国(以下「米国」という。)カリフォルニア州に同年三月二六日に設立した子会社である。

2  原告春好観光は、被告福島支店からの融資等によって米国のホテルを買収することを計画し、原告春好観光の代表取締役社長である阿部ハル子(以下「ハル子」という。)、その夫で同原告の会長である阿部一雅、同夫婦の次男で同原告の専務取締役である阿部憲史郎(通称「将久」。以下「将久」といい、ハル子及び阿部一雅と併せて「ハル子ら」ということがある。)らは、平成元年一一月、当時被告本店不動産企画部の海外不動産課課長代理であった吉田理(以下「吉田」という。)らの案内により渡米し、幾つかのホテルを見学したが、ハル子はその中で本件ホテルに好印象を持ち、その買収交渉を行うことにした。

3  平成二年二月一日、原告春好観光と被告は、被告が原告春好観光に対し本件ホテルの購入に関するコンサルティングを行い、右購入契約が成立した場合、原告春好観光が被告に対し売買価格の三パーセント相当の報酬を支払うという内容の本件コンサルティング契約を締結した(甲一)。(右コンサルティングに係る債務の内容及び履行の有無が本件の主たる争点である。)

4  同年三月二六日、原告春好観光は、右1のとおり原告ハルヨシを設立し、そのころ、原告春好観光の本件コンサルティング契約上の地位を被告の同意の上で全て原告ハルヨシに移転した。

5  同年四月三日、原告ハルヨシは、本件ホテルの所有者であるシテイ・スクエア・スウィーツ・アソシエーツ(以下「CSSA」という。)との間で、本件ホテルを代金一三五〇万ドル(ただし、後記のとおり実質的には一四〇〇万ドルというべきである。)で購入する契約(以下「本件売買契約」という。)を締結し、かつ売主であるCSSAから、同社とウッドフィン・スウィーツ社(以下「ウッドフィン社」という。)との間の本件ホテルの経営に関するフランチャイズ契約上の地位の譲渡を受け、また、ウッドフィン社の子会社であるウッドフィン・ホテル・マネジメント社(変更後の商号は「チェイス・マネジメント・コーポレーション」。以下「ウッドフィン・マネジメント社」という。)との間で、本件ホテルの運営管理に関するマネジメント契約(以下「本件マネジメント契約」という。)を締結した。

その際、ウッドフィン社は原告ハルヨシに対し、本件ホテルにつき、CSSAに代わって右売買価格一三五〇万ドルの九パーセント(一二一万五〇〇〇ドル)の年間収益があることを三年間にわたり保証する旨を約した(以下、これに係る契約を「本件収益保証契約」という。)が、その契約内容は、右保証に係る収益があったときないし右保証が履行されたときには原告ハルヨシはウッドフィン社に対し、予め原告ハルヨシが預っている五〇万ドルを返還し、右保証に係る収益がなかったときには右五〇万ドルからその不足額を控除した差額を返還し、右不足額が五〇万ドルを超えたときには、ウッドフィン社が原告ハルヨシに対し右不足額と五〇万ドルとの差額を賠償しなければならないというものであった。

6  本件売買契約の締結のころ、被告は、本件ホテルの買収資金として、原告春好観光に対し、被告福島支店の取扱いで福島ワシントンホテル等を担保として一二億円を、原告ハルヨシに対し、被告ロスアンゼルス支店の取扱いで本件ホテルを担保として七〇〇万ドルをそれぞれ貸し渡した(以下、右貸金を併せて「本件融資」という。)。その直後、原告春好観光は原告ハルヨシに対しその資本金として三〇〇万ドルを払い込み、かつ、四六〇万ドルを貸し渡した。

同年四月一二日までの間に、原告ハルヨシはCSSAに対し本件売買代金として一三五〇万ドルを支払い、本件ホテルの所有権を取得した。

同月二〇日、原告ハルヨシは、被告に対し、本件コンサルティング契約に基づく手数料として四一万七一五〇ドル(売買価格である一三五〇万ドルの三パーセントである四〇万五〇〇〇ドルにその三パーセントの消費税分を加算した金額)を支払った。

一方、本件売買契約の売主であるCSSAは、売主のために本件売買契約の仲介を行ったギレック社に対し二〇万二五〇〇ドルを、YMインベストメント社に対し四七万二五〇〇ドルを、それぞれ仲介手数料として支払った。

7(一)  原告ハルヨシは、平成四年六月一五日、原告春好観光に対し、本訴において原告らが主張している被告に対する損害賠償請求債権のうちの二〇〇万ドル分を譲渡し、右債権譲渡通知は同月二三日被告に到達した(甲七、八の1、2)。

(二)  原告ハルヨシは、被告に対し、平成五年六月一七日の本件第八回口頭弁論期日において、被告の債務不履行により本件コンサルティング契約を解除する旨の意思表示(以下「本件解除」という。)をした(記録上明らかな事実)。

二 主たる争点

1  被告に本件コンサルティング契約上の債務不履行があったかどうか。

2  原告らが受けた損害及び被告が賠償すべき損害額

三 原告らの主張

1  原告らの主張する事実経過

(一)  原告春好観光は、平成元年八月、山形県天童市所在のホテル(後日開業した天童ワシントンホテル)を買収したが、右買収資金の融資につき、被告福島支店及び日本長期信用銀行(以下「長銀」という。)仙台支店の双方から融資に応じる旨の回答を得ており、結果的に長銀仙台支店から融資を受けた。そのため、被告福島支店の真下幸春支店長(以下「真下支店長」という。これに代わる融資を行って同支店の実績を上げるため、原告春好観光に対し、海外における不動産投資、とりわけ米国におけるホテルの買収を執拗に勧誘し、そのため、被告本店の吉田を紹介した。

以来、真下支店長及び吉田は、原告春好観光に対し、被告から代金全額の融資を受けて米国のホテルを買収し、買収後は現地のマネジメント会社に一切の監督管理をさせてその収益を日本に送金させれば、それで右被告からの融資の利息を支払うことができ、いずれ時機を見てホテルを転売すれば転売益も得ることができ、これら一切の事務は被告が行うから安心して任せてほしい旨の説明をし、米国におけるホテルの買収を勧めた。

右当時、原告春好観光は、右天童市におけるホテルの買収とその開業事務で精一杯の状況にあり、また、英会話に習熟した人材もいなかったことなどから、米国においてホテルを直接営業する意思は全くなかったが、真下支店長らの右説明を信用して、運用利益と転売差益の取得という純然たる投資目的で右ホテルの買収をすることを考えるようになった。

(二)  吉田らは、右勧誘の当初、原告春好観光に対し、ウィグアム・リゾート・ホテルの買収を熱心に勧誘したが、右ホテルの売値が一〇〇億円と高額であったため、原告春好観光は右買収の件を断った。それにもかかわらず、同年一一月下旬にハル子らがホテル視察のために渡米した際にも、吉田らは執拗に右ホテルの買収を勧めた。

右渡米中、ハル子及び将久らは買収目的で十数件のホテルを視察したが、その中で本件ホテルに最も好い印象を抱いた。

そして、吉田らは、本件ホテルの売値は一四〇〇万ドルであって買い得であること、その売買代金や経費は全額被告が融資し、前記のとおり、買収後は現地のマネジメント会社に一切の監督管理をさせてその収益を日本に送金させれば、その収益で右被告からの融資の利息を支払うことができること、いずれ時機を見てホテルを転売すれば転売益も得ることができ、したがって、原告春好観光自身が資金を持ち出す必要はないこと、為替変動への対処も含めて今後も被告が全面的に原告春好観光及び本件ホテルについて面倒を見ることなどの趣旨の説明をしたので、原告春好観光は本件ホテルを買収することを企図するようになった。

(三)  右渡米から帰国した後、吉田において、原告春好観光に対し、米国における不動産等の取引はレター・オブ・インテント(Letter of intent 購入希望書)の提出から始まるが、これには法的拘束力が一切ない旨の説明をしたため、同年一二月一三日ころ、原告春好観光はレター・オブ・インテントを提出することにし、本件ホテルの買収の段取り一切を被告に依頼することとした。

右レター・オブ・インテント提出時の売主側の条件は、売買価格を一四〇〇万ドルとし、三年間にわたり代金の九パーセント相当の収益保証をするというものであったが、売主であるCSSAの代理人であったウッドフィン社のバイス・プレジデント(副社長)であるエリック・リーバー(以下「リーバー」という。)は、その当時、本件ホテルの適正価格は八〇〇万ないし九〇〇万ドルであろうと考えていた。

(四)  そして、平成二年二月初めころ、原告春好観光は被告との間で、被告が原告春好観光のために本件ホテルの買収に関するコンサルティングを行い、買収が成功した場合には、原告春好観光は被告に対し売買価格の三パーセント相当額の手数料を支払う旨の本件コンサルティング契約を締結した。

(五)  被告は、本件コンサルティング契約に従い、グラブ・アンド・エリス社(以下「G&E社」という。)のダグラス・J・ショバーグ(以下「ショバーグ」という。)に本件ホテルの鑑定を依頼し、ショバーグは同月二〇日付けで予備的鑑定を、同年三月五日付けで本鑑定を行い、本件ホテルにつき一三七〇万ドルとの鑑定結果を得た。

しかし、G&E社は不動産ブローカーであって不動産鑑定の専門会社ではなく、ショバーグも不動産コンサルタント(CRE)であって不動産鑑定士(MAI)ではなかった。

また、被告は、本件コンサルティング契約に基づき、原告春好観光のため、リリック・アンド・マクホース法律事務所(以下「リリック・マクホース事務所」という。)に対し、本件ホテルの権利関係の調査、売買契約書その他付帯契約書の内容のチェック、売買契約上の問題点について売主側と接衝することなどを委託し、また、アーサー・アンド・アンダーセン会計社(以下「アーサー・アンダーセン会計社」という。)に対し、本件ホテルの経営上及び収益上の問題点の調査及び助言をすることについて委託した。

(六)  本件売買契約締結当時、本件ホテルの業績は悪く、売主のCSSAは、平成元年には毎月本件ホテルの口座に運転資金を追加預金しなければならないという状況にあり、そのため、CSSAは、平成二年一月一日から、本件ホテルのマネジメント会社を、それまでのウッドフィン・マネジメント社からグラハム・テイラー・ホスピタリティー・グループ(以下「グラハム・テイラー社」という。)に変更し、本件ホテルの業績は右マネジメント会社の変更により若干向上していた。

しかし、被告は、原告春好観光に対し、右マネジメント会社の交替のあったことを告げず、ウッドフィン・マネジメント社が本件ホテルのマネジメントを継続しているかのような説明をし、原告ハルヨシをして、同社との間に本件マネジメント契約の締結をさせた。

(七)  被告が、本件売買契約成立までに原告らに対して交付した書類は、「貴社米国現地法人の資金調達に対するご提案」(甲二七)、「春好観光(株)海外不動産案件」(甲五)、「売買契約・マネジメント契約のドラフト」のうちの売買契約部分(甲六)、売買契約書案(ただし、締結されたものではなく古い案。甲一四の1)、右売買契約書案の一部の和訳(甲一四の2)のみであり、本件売買契約書の最終案については全く交付しなかった。

また、被告は、原告らに対し、フランチャイズ契約案、マネジメント契約案及び収益保証契約案については一切交付せず、調印直前に、収益保証契約の基準額が一四〇〇万ドルから一三五〇万ドルに変更されたことや、マネジメント契約についてその契約期間が二〇年になり、最初の三年間は解約できず、その後も解約時には高額の手数料を支払わなければならないように変更されたことについても、全く説明しなかった。

なお、リリック・マクホース事務所の弁護士やアーサー・アンダーセン会計社の会計士は、原告らに対し直接契約内容等の説明をしたことはなく、常に被告を経由し、又は被告の担当者が同席した上で説明していた。

さらに、被告が、アーサー・アンダーセン会計社のジェフ・酒井会計士(以下「酒井会計士」という。)がまとめた報告書(甲一五の1)を原告らに交付したのは、本件売買契約締結後の平成二年四月二〇日ころであり、海外不動産物件案内書(甲二八の1)を原告らに交付したのも本件売買契約締結後である。

(八)  そして、同年四月三日(ロスアンゼルス時間同月二日)、ハル子は原告ハルヨシの代表者として本件売買契約の契約書等に署名したが、右はハル子が署名する用紙部分のみを米国から日本ヘファックス送信し、ハル子がこれに署名してファックスで返送したにすぎず、右署名に際しハル子が右契約書等の全体を確認したというものではない。

したがって、本件売買契約締結当時、ハル子らが認識していたことは、①本件ホテルを代金一四〇〇万ドルで原告ハルヨシが購入する、②マネジメント契約及びフランチャイズ契約についてはウッドフィン社に委せる、③当初の三年間はウッドフィン社が一四〇〇万ドルの九パーセントに相当する年間収益を保証する、④ウッドフィン社から右収益保証の担保として五〇万ドルを預かるという程度のことであった。

(九)  なお、ハル子らは、本件ホテルの買収後福島県庁において記者会見を行ったが、右会見は真下支店長のお膳立てにより行われたものであり、その際のハル子らの発言は事実を脚色して行われたものであって、真実を反映したものではない。

2  被告の債務不履行

(一)  被告の義務

本件コンサルティング契約に基づく、被告の義務内容は次のとおりである。

① 原告らが本件ホテルを適正な価格を超えることのない代金で購入できるようにするため、本件ホテルの収益及び投資価値等について必要な調査を行い、これについて助言をする(物件についての調査・助言義務)。

② ホテル経営に関する契約(フランチャイズ契約、マネジメント契約及び収益保証契約)の相手方について、契約を確実に履行する能力があるかどうか等について必要な調査を行い、原告らに助言する(相手方についての調査・助言義務)。

③ ホテル経営に関する右契約が原告らにとって有利なものになり、少なくとも不利なものにならないようにするため、弁護士にその契約内容や問題点につき検討させ、その結果を原告らに伝え、また、必要な助言を行う(契約内容についての検討・助言義務)。

④ 右①ないし③の調査検討と、本件売買契約及びホテル経営に関する契約の交渉のため、的確な不動産鑑定士、弁護士、会計士等を手配し、必要な打ち合わせを行い、その内容を原告らに説明する(的確な鑑定等の義務)。

⑤ 英文の契約書その他の必要な書類を和訳し、原告らにその内容を理解できるよう説明する(和訳義務)。

⑥ 本件ホテル購入に伴う現地法人設立を補助する。

(二)  被告の義務違反

本件コンサルティング契約の手数料は売買が成立した場合にのみ支払うこととされており、かつ、その額は売買価格に比例することとされていた。また、原告らは右売買代金の全額を被告からの融資により調達する予定であり、被告はこれを知っていた。したがって、本来、買主に対するコンサルティングは当該物件を安価に購入できるように交渉すべきものであるところ、実際には、原告が本件ホテルを高値で購入する方が被告及びその関連会社であるギレック社の手数料並びに被告の原告らに対する融資額及びその利息が増加して、被告にとっては収入が増え、また、買収を止めた場合には被告に収入が生じないという関係にあるため、本件ホテルの買収についての原告らと被告の各利害は必ずしも合致しないという矛盾があり、以下の被告の債務不履行等はこの事情を背景として生じたものである。なお、本件融資につき、被告は原告らから買収物件以外にも十分な担保を取っているから、適正価格以上の金額で売買がされても本件融資について被告に担保不足が生じることはなかった。

(1) 物件についての調査・助言義務(的確な鑑定等の義務を含む。)違反

a 本件売買契約締結当時の本件ホテルの適正価格は約九三〇万ドルであった。それにもかかわらず、被告は、原告らに対し、一四〇〇万ドルが適正な価格であるかのように誤ったアドバイスを行い、原告らにその旨誤信させた。右は物件についての調査・助言義務違反である。

前記のとおり、被告は、本件ホテル購入に際し、G&E社のショバーグに鑑定を依頼した。しかし、G&E社は不動産ブローカーとしては大手の会社であるが、ホテル鑑定に関しては実績がない。そして、ショバーグは、不動産カウンセラー(CRE)であって不動産鑑定士(MAI)ではなく、不動産鑑定を行うことができないものである。

さらに、ショバーグの鑑定内容(以下「ショバーグ鑑定」ということがある。)は、①本件ホテルの過去の営業実績について、平成元年一二月末までの数値を入手することが可能であったにもかかわらず、同年一〇月末までの数値しか入手していないこと、②本件ホテルの客室は一二三室であるが、一二四室として計算していること、③稼働率と平均料金を相互に関連させて分析していないこと、④本件ホテルの所在する地域の市場全体の稼働率は次第に低下し、平成七年には55.2パーセントにまで落ち込むと予測していながら、本件ホテルについての稼働率は右と逆に次第に上昇して七六パーセントに達すると予測しており、このようなことは通常あり得ないこと、⑤客室収入について、平成元年の実績は二二四万ドルにすぎないのに、平成二年の予測を二七〇万ドルとしており、実績を無視した過大な予測であること、⑥本件ホテルは、他のビジネスホテルと比較して客室経費が多くかかる構造になっており、平成元年の客室経費率は33.2パーセントであるのに、平成二年のそれを23.7パーセントと予測しており、非現実的であること、⑦右のとおり、将来稼働率が上昇すると予測している一方で、客室経費は減少すると予測しており、矛盾していることなど、多くの矛盾ないし不合理な点を有し、総じて経費を過小に、収入を過大に見積もった極めて杜撰なもので、鑑定の名に値しないものである。

のみならず、ショバーグ鑑定は、取引事例比較法において、比較事例として取引未成立の事例の売主希望価格を引用したり、平均部屋料乗数というホテル鑑定では通常用いられない手法を重視したりしている。そして、右鑑定は、不動産鑑定において最も重要な収益還元法による評価額を一三一七万ドルとしながら、最終評価額を一三七〇万ドルとしており、そのことに合理性はない。

したがって、ショバーグ鑑定は、売主側の提出した極めて楽観的な数字に基づき、売主が本件ホテルの売値として示した一四〇〇万ドルという価格を正当化する意図の下で作成されたものであることが明らかである。

b 被告はアーサー・アンダーセン会計社に対し本件ホテルの財務調査を依頼しておきながら、同会計社の酒井会計士の作成した報告書を原告らに対し本件売買契約締結以前に交付せず、また、海外不動産物件案内書についても原告らに対し本件売買契約締結以前に交付しなかった。

右報告書及び案内書は、原告らの投資判断の上で重要な資料であるから、本来は本件売買契約締結以前に原告らに交付すべきものである。

c 被告は、売主であるCSSAが作成した収益予測資料を、被告の独自の調査の結果作成されたものであるかのように偽って原告らに提示した。

以上のとおり、被告は原告らに対する融資を拡大するため、物件についての調査・助言義務に違反し、原告ハルヨシに前記適正価格九三〇万ドルを大きく上回る一四〇〇万ドルで本件ホテルを購入させ、その差額分四七〇万ドル相当の損害を被らせた。

(2) 相手方についての調査・助言義務違反

前記のとおり、CSSAは、本件ホテルの業績が開業以来悪く、毎月資金を持ち出す状況であったため、平成二年一月一日から、本件ホテルのマネジメント会社を、ウッドフィン社の子会社であるウッドフィン・マネジメント社からグラハム・テイラー社に変更し、これにより業績が向上していたものである。それにもかかわらず、被告は、原告らに対し、右事実を秘し、本件ホテルのマネジメントはウッドフィン社の子会社が継続的に行っているものと誤信させて、同社との間で本件マネジメント契約を締結させた。これは本件コンサルティング契約上の相手方についての調査・助言義務に反するものである。

(3) 契約内容についての調査・助言義務及び和訳義務の違反

被告は、原告らに対し、リリック・マクホース事務所の岩永ユウジ弁護士(以下「岩永弁護士」という。)らを紹介し、契約内容の検討に当たらせていたが、岩永弁護士らは、原告春好観光と直接連絡を取ることなく、専ら吉田ら被告担当者と連絡をとって契約内容の検討及び売主との交渉を行っていた。したがって、吉田らは、右の契約内容及び交渉経過等を原告らに伝える義務があったところ、吉田らは、原告春好観光に対し、売買契約、収益保証契約及びマネジメント契約について、売買契約書の古い案及びその和訳を渡しただけで、その他については必要な和訳を行わず、その説明もしなかった。

また、契約書の署名方法も、前記のとおり、署名する紙だけを米国からファックスで送付してもらい、これにハル子が署名してファックスで送り返すというものであった。

その結果、本件収益保証契約については、当初は一四〇〇万ドルの九パーセントということであったのに、原告らの知らない間に、ウッドフィン社の不当な提案のとおりの一三五〇万ドルの九パーセントに変更されて契約されてしまった。

また、マネジメント契約については、当初の案は期間五年間、一二か月前に予告すれば手数料なく解約可能という内容であったのに、原告らが知らない間に、本件マネジメント契約は、契約期間が二〇年間と長期化され、しかも、当初の三年間は解約が出来ず、その後も解約するためには原告ハルヨシにおいて多額の解約料を支払わなければならないという内容に変更された。従前CSSAが締結していたマネジメント契約の内容が、契約期間は一〇年間、三年目以降は九〇日以前に予告すれば無条件で解約可能で、三年以内であっても営業収益が過去六か月の平均で借入返済を超えない場合は無条件で解約可能とされていたものであったことと対比して、本件マネジメント契約は一方的に原告ハルヨシに不利な内容に変更されたものである。

本件コンサルティング契約において、原告らが被告に対し本件売買契約等の契約条件の細部については任せていたものとしても、被告においてどのような内容の契約でも締結してよいというものではなく、被告は、原告らに対し、原告ハルヨシが締結する契約内容が不利にならないように検討し、助言する義務を負っていたものである。したがって、被告は、右の契約内容の変更を事前に原告らに知らせるとともに、その変更の必要がない旨を助言し、弁護士に対しても右変更に応じないよう申し入れるべきであったのに、被告はこの義務を尽くさなかった。

3  原告ハルヨシの損害及び債権譲渡

(三) 手数料 四一万七一五〇ドル

本件解除により、原告ハルヨシは、被告に対し、既払のコンサルティング手数料四一万七一五〇ドルの返還請求権ないし損害賠償請求権を有する。

(二) 適正価格との差額 四七〇万ドル

本件ホテルの本件売買契約当時の適正市場価格は九三〇万ドルであった。

被告が、本件コンサルティング契約上の前記義務を履行し、本件ホテルの適正価格が九三〇万ドルであることを原告らに知らせていれば、原告ハルヨシが一四〇〇万ドルで本件ホテルを購入することはなかった。また、被告が原告らにウッドフィン・マネジメント社が前オーナーから経営不振を理由にマネジメント契約を解除されていたことを知らせていればウッドフィン・マネジメント社がマネジメントを行うことを前提とした本件売買契約を締結することはなかった。被告の右債務不履行によって、原告ハルヨシは右の差額である四七〇万ドルの損害を受けた。

(三) 収益保証の低下 一三万五〇〇〇ドル

本件マネジメント契約に基づき、ウッドフィン・マネジメント社が本件ホテルの経営に当たったが、その収益が本件収益保証契約の前記基準額に達しなかったため、原告ハルヨシは、ウッドフィン社に対し、一三五〇万ドルの九パーセント相当額である年間一二一万五〇〇〇ドルと実際の収益の差額である平成二年(四月一二日から一二月三一日まで)については四七万八九五三ドル、同三年については五五万八四九〇ドル、同四年については四八万五四二〇ドル、同五年(一月一日から四月一一日まで)については一二万八八三一ドルの収益保証請求債権を取得するに至った。

しかし、被告が、本件コンサルティング契約に基づく契約内容についての調査・助言義務を尽くしていれば、前記のとおり、右収益保証は一四〇〇万ドルの九パーセント相当額(年間一二六万ドル)になっており、一年間で四万五〇〇〇ドル、三年間合計で一三万五〇〇〇ドルがさらに保証されていたはずであるから、原告ハルヨシが右を逸したことは被告の本件コンサルティング契約上の債務不履行による損害である。

(四) ウッドフィン・マネジメント社の解約手数料 六八万〇七八四ドル

原告ハルヨシは、ウッドフィン・マネジメント社の経営能力に問題があると考え、平成五年四月に同社との間で本件マネジメント契約を解除したが、その際、同社から六八万〇七八四ドルの解約手数料を請求され、ウッドフィン社への前記収益保証金請求債権と対当額で相殺する処理をした。被告が本件コンサルティング契約に基づく契約内容についての検討、助言義務を尽くし、原告ハルヨシに一方的に不利な契約内容の本件マネジメント契約を締結させることがなかったとすれば、右解約手数料は支払う必要がなかったものであるから、被告の債務不履行によって原告ハルヨシは右と同額の損害を受けたものである。

(五) その結果、原告ハルヨシは、被告に対して右(一)ないし(四)の合計五五一万五七八四ドルの損害賠償請求権を有しているところ、前記一の7(一)記載のとおり、そのうち二〇〇万ドル分につき原告春好観光に対して債権譲渡したから、結局原告ハルヨシが三五一万五七八四ドル、原告春好観光が二〇〇万ドルの損害賠償請求権を有している。

これを本件売買契約が最終的に決済された平成二年四月一二日の為替レートである一ドル=一五八円として日本円に換算すると、原告ハルヨシの請求額は六億二一四〇万三五七二円、原告春好観光の請求額は三億一六〇〇万円となる。

四 被告の主張

1  被告の主張する事実経過

(一)  原告春好観光は、平成元年八月二日、真下支店長に対し、福島ワシントンホテルが開業一〇周年を迎えるに当たり、国際化の時代に対応するため海外のホテルを買収したい意向を有しており、長銀にも適当な物件の紹介を依頼しているが、被告においても米国西海岸に良い物件があれば紹介してほしい旨の依頼をし、同年九月二七日、右依頼によって原告春好観光を訪問した被告本店海外不動産課課長遠山光良及び吉田らに対しても重ねて同趣旨の依頼をした。

そこで、吉田ら被告社員は、原告春好観光に対し、同年一〇月二五日、米国西海岸のウィグアム・リゾート・ホテル他二、三の物件を紹介するとともに、海外不動産の価額の算定法、売買成立までの手続の概要、交渉上の留意点等について説明した。

(二)  吉田らは、その後も原告春好観光に対して米国の幾つかのホテルの情報を提供し、さらに、同年一一月二六日ないし三〇日にかけて、ハル子らの要請に基づき、同人らを米国に案内して一三のホテルを実査させたところ、ハル子らは、そのうちの本件ホテルに強い興味を持ち、本件ホテルにつきより詳しい実査をした。その結果、ハル子らは、本件ホテルにつき、ロケーションが良いこと、経費のかからない経営姿勢と顧客重視のサービス、マネージャーの態度、ホテルの外観デザイン等が気に入ったということで買収の意向のあることを吉田らに示した。なお、右実査当時、本件ホテルのマネジメントに当たっていたのは、本件売買契約と併行して締結された本件マネジメント契約の相手方であるウッドフィン・マネジメント社であった。

(三)  同年一二月七日及び八日、原告春好観光から被告に対し、本件ホテルの購入についての打合せをしたいとの申出があり、これを受けて、吉田において売主の代理人であるギレック社に対し売買価格を問い合わせたところ、売主の当初の希望価格である一四五〇万ドルを一四〇〇万ドルまで引き下げることは可能であろうが、それ以下に下げることは困難であるとの回答であった。また、この時点においては、収益保証の点は売買契約の条件となっていなかった。

同月一三日、吉田らは、ハル子らと打合せをした結果、ハル子らの本件ホテル購入の意思が固いと判断されたことから、ハル子らに対し、本件ホテルの経理内容等の調査をするためにはレター・オブ・インテントを提出して売主側から必要な資料の提供を求めることが必要である旨を説明し、そのころ、原告春好観光の同意を得て作成したレター・オブ・インテントを売主側に提出した。右レター・オブ・インテントは本件ホテルにつき買取義務を何ら生じさせるものではなく、価格についても調査の結果変更することが可能であるとされていたものであり、同書面の趣旨につき被告が原告らに対し誤導的な説明をしたことは全くない。

(四)  また、実勢売買価格と売主の売却希望価格の間に乖離がある場合に、最初から弁護士及び会計士を起用すると無用な出費を要する恐れがあるため、被告は、G&E社に対し、本件ホテルの予備的鑑定を依頼した。

(五)  平成二年二月一日、被告と原告春好観光は本件コンサルティング契約を締結し、被告は、同契約に従って、弁護士についてはリリック・マクホース事務所、会計士についてはアーサー・アンダーセン会計社をそれぞれ選任し、右弁護士に対し、本件ホテルの権利関係の調査及び売買契約書その他付帯契約書の内容のチェック及び問題点についての売主側との交渉を委託し、右会計社に対し、経営上、収益上の問題点についての調査及び助言をすることについての委託をした。

不動産を取得する現地法人(原告ハルヨシ)の設立については、設立事務をアーサー・アンダーセン会計社に委託し、設立資金の現地での調達や日本からの送金手続については被告が補助することとし、本件ホテル取得後の現地法人の会計処理等の管理についてはギレック社に依頼することとし、その承諾を得ていた。

管理会社の紹介等の管理事務に関するセッティングについては、従前からマネジメントを行っていたウッドフィン・マネジメント社が引き続きマネジメントに当たることが前提となっていた。

(六)  同月二〇日、被告はG&E社より、予備的鑑定書を受領し、同社に対し引き続き正式鑑定をすることを依頼した。右予備的鑑定は、一四〇〇万ドルの売値は妥当であるという内容であった。

(七)  ハル子及び将久は、同年三月一二日に訪米し、米国において、吉田らから、リリック・マクホース事務所の岩永弁護士及びトーマス・R・ラモア弁護士(以下「ラモア弁護士」という。)、キース・アレン・ニーセン弁護士(以下「ニーセン弁護士」という。)、アーサー・アンダーセン会計社の酒井会計士及びG&E社のショバーグを紹介され、同人らから各自の調査結果及び交渉経緯などについての説明を受け、その際吉田も補足的な説明をした。

ハル子らは、右説明により、本件ホテルのマネジメントは同年一月からグラハム・テイラー社が行っていたが、本件売買契約締結後においては再びウッドフィン・マネジメント社が行うことを了知した(アーサー・アンダーセン会計社作成の報告書には右事実が記載されている。)。なお、グラハム・テイラー社がマネジメントを行っていた期間(平成二年一月一日以降の三か月弱の期間)も、本件ホテルにおける現実の支配人及び従業員は同じであって、売主のCSSAとウッドフィン社とのフランチャイズ契約も従前どおり継続しており、対外的にはウッドフィン・マネジメント社のマネジメントが継続していたものであって、その運営に実質的な変化はなかったものである。

そして、ハル子らは、右訪米中の同月一三日に、吉田らとともに、CSSAの代理人として交渉にあたっていたウッドフィン社のリーバー及びハーデージ会長とも面談し、従業員の雇用契約、マネジメント契約、価格等について打ち合わせた。

(八)  本件売買契約締結直前の同年三月三一日ころになって、CSSAの代理人らが突如原告らにとって不利な新条件を種々出してきたため、吉田及び岩永弁護士らとリーバーとの間でその点を巡る厳しい交渉が行われたが、その際、吉田は、ハル子及び将久に対し、売主側は原告らの購入意欲が強いことを知って足下を見てきているので、売買交渉に当たっては、いつでも売買を止めるという強い態度で臨む必要があり、そうでないと不利な条件を呑まされる恐れがある旨を助言した。

その一方で、被告は、CSSAに対し、売買価格を一三五〇万ドルとしてその九パーセントの収益保証を付け、その方法として銀行の信用状(L/C)を取ることを要求したが、CSSAの抵抗が強く合意に至らず、結局、売買価格を一三五〇万ドルとし、その九パーセントの収益保証を行い、その履行確保の方法としては五〇万ドルを先に原告らに交付し(ただし、実質的な売買代金は一四〇〇万ドルとして、実際上原告ハルヨシが支払う金額を一三五〇万ドルとして処理するものである。)、右五〇万円ドルを右収益保証の不足分に充当するという方法によることで合意した。

右の間、吉田らは、ハル子らに対し、最新の契約案の内容に則して随時売買契約等の要旨について口頭で説明していたものであり、その後の売買契約書の一部の和訳は原文理解の補助資料として便宜的にしたにすぎないものであり、前記の契約条件については岩永弁護士から直接又は吉田を通じてハル子らに口頭で説明をしてその承諾を求めており、ハル子らは右契約条件を全て理解した上で本件売買契約等の締結をしたものである。

(九)  なお、吉田らは、本件売買契約の締結に際し、ハル子らに対し、CSSAから有効な所有権移転登記がされたことを弁護士が確認するまで残代金の支払をしないよう助言した。

(一〇)  原告らは、本件売買契約のクロージング(決済)後、福島県庁で記者会見を行い、国際化の時代に対応するため、米国のホテル業者と業務提携をして米国におけるホテル経営のノウハウを取得し、従業員の交流により国内のホテル経営にも役立てることが本件売買契約の目的である旨を強調する発言をした。

2  債務不履行のないことについて

(一)  被告の本件コンサルティング契約に基づく義務

(1) 本件コンサルティング契約における被告の義務の内容は次のとおりである。

① 不動産(ホテル)の紹介及び売主側との折衝

② 弁護士及び会計士のアレンジメント

③ 不動産を所有する現地法人設立の補助

④ 管理会社の紹介等管理に伴うセッティング

(2) 被告は、前記1(五)ないし(九)のとおり、右義務を全部履行した。

(二)  原告ら主張の義務違反がないことについて

(1) 原告らは、被告が物件についての調査・助言義務に違反し、適正価格九三〇万ドルの本件ホテルを代金一四〇〇万ドルで購入させたと主張する。

しかし、被告はG&E社に本件ホテル価格の鑑定を依頼し、その結果一三七〇万ドルとの数値を得ており、本件売買契約の実質的な代金である一四〇〇万ドルは適正な価格であった。

なお、G&E社は、鑑定についての実績と信用を有しており、ショバーグはその一員である。被告はショバーグ個人に鑑定を依頼したわけではない。米国においては、日本におけるような国家資格としての不動産鑑定士の制度は存在せず、その一方、不動産鑑定を業とする者の協会が多く存在し、「不動産鑑定士協会」もその一つであり、不動産鑑定士協会の会員(MAI)は右の自律的組織の会員にすぎないのであって、米国においてMAIだけが不動産鑑定ができる資格というわけではない。

そして、ショバーグ鑑定により算出された一三七〇万ドルの価格は、特に不合理なものではなく、妥当なものである。

なお、不動産売買において、その代金額は、当該物件の売主の事情及び買主の買い希望の強さにより決定される。売主の希望売却価格が客観的に当該物件の時価と著しく乖離しその差を埋めることができない場合は、特段の事情のない限り買主はその取引は中止するのが正しい判断であり、売値と客観的な価格との差が相当な範囲に近づいた場合には、当事者がその責任において売買を成立させるかどうかの意思決定をすることになる。海外不動産売買における鑑定は、売値が取引時の客観的な時価と著しく乖離しているかどうかの資料を求める方法として行われるものであって、いかに精密な方法で売買価格を求めたとしても、それが客観的取引価格と異なるものであれば意味をなさない。

原告らは、本件ホテルの平成二年四月当時の適正価格が九三〇万ドルであったと主張するが、右主張は米国の景気の低落後におけるその後の低落した価格から過去の時点における適正評価額を求め、当時の取引価格が不当に高額であったと主張する、いわゆる「後知恵」に基づくものである。

(2) 原告らは、本件ホテルのマネジメントをしていたウッドフィン・マネジメント社が業績不振を理由にCSSAから解約され、平成二年一月一日からはグラハム・テイラー社がマネジメントに当たっていたことを被告から告げられなかったと主張する。

しかし、前記のとおり、ハル子らは、同年三月一二日の訪米の際、岩永弁護士及び酒井会計士らの説明によって右事実を知っており、本件売買契約の契約書にも、CSSAはグラハム・テイラー社とのマネジメント契約を本件売買契約までに解除し、本件売買契約後はウッドフィン・マネジメント社がマネジメントを行う旨が明記されている。

(3) 収益保証契約についても、前記のとおり、ハル子らは、同年三月一二日の訪米の際、岩永弁護士及び酒井会計士らから説明を受け、その内容を理解していた。その後の変更についても、岩永弁護士から吉田を通じ、又は直接ハル子らに対し説明がされていた。

第三  判断

一  事実経過等

前掲争いのない事実等に、証拠(全体につき甲五〇、五五の1、2、五八、六三、六五、乙一一、二五、二六、証人吉田理、同阿部憲史郎、同真下幸春、同藏ケビン、同エリック・リーバーの各供述。その余は以下の各項に掲げた証拠)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告春好観光は、藤田観光株式会社とフランチャイズ契約を締結し、フランチャイジーとして福島市内において昭和五五年から福島ワシントンホテルを経営していたものであるが、平成元年七月ころ、山形県天童市所在の「ホテル釜田」を買収し、「天童ワシントンホテル」として開業する計画を進めていた。原告春好観光は、右買収資金の調達として長銀仙台支店及び被告福島支店と交渉し、両銀行とも右融資については積極的であったが、結局長銀仙台支店から融資を受けることにした。

真下支店長は、同年八月二日ころ、右事情を知って残念がるとともに、右天童市のホテルに代わる融資をしようと考え、原告春好観光に対し、米国において不動産(ホテル)に投資することについて提案した。

原告春好観光は、海外での不動産投資の経験がなく、また、米国で商取引を行うことができるほどの英語能力を有する社員も擁していなかったが、同年が福島ワシントンホテル開業の一〇周年に当たることもあり、その記念事業の一環として国際化の時代に対応するため海外進出を図ろうと考え、右真下支店長の提案を受けて、米国西海岸のホテルを買収することを検討するようになった。

2  原告春好観光が右買受けの意向を示したので、真下支店長は、平成元年九月七日ころ、被告本店の不動産企画部海外不動産課に連絡して適当な物件を探すように依頼し、同月二七日ころ、右海外不動産課の遠山課長及び吉田において、「対米不動産投資のご案内」と題する小冊子(甲三)を持参して原告春好観光を訪問した。その際、原告春好観光で応対したのはハル子及び将久であり、同人らは、希望投資額として五億円ないし一〇億円という数字を提示した。

その後、吉田は、被告ロスアンゼルス支店と連絡を取り、幾つかの売り物件の情報を原告春好観光にファックス等で提供し、同年一〇月二五日、原告春好観光を再訪問し、ウィグアム・リゾートホテル等の資料を持参提示してその説明をし、さらにその後も幾つかのホテルを紹介し、また、同年一一月一五日にはハル子及び将久を東京の帝国ホテルで行われた海外不動産セミナーに招待するなどし、原告春好観光に対し、継続的に右の海外投資を勧誘し、情報を提供した。

(甲三、六二)

3  吉田らの右勧誘や説明によってハル子らが米国のホテルの買収に関心を示すようになったことから、吉田はハル子らに対し実際に米国のホテルを見ることを勧め、ハル子らは、吉田らの案内で同年一一月二五日から同年一二月二日までの間訪米してホテルを見て回った。

4  右訪米中、吉田は、最初に右ウィグアム・リゾート・ホテルを案内したが、同ホテルは見込み買収価格が約一〇〇億円と高額であったため、ハル子らは資金的に不可能であるとして同ホテルを買収することについては断った。

その後、ハル子らは、合計十数件のホテルを実地に見て回ったが、その中に本件ホテルが含まれていた。

本件ホテルは、ロスアンゼルス市郊外のカリフォルニア州オレンジ郡に所在する敷地面積2.98エーカー、客室一二四室(後に一室を事務所に改造して一二三室)、全室スウィートタイプ(各客室が居間、寝室、キッチンで構成されており、長期滞在に適する。)のホテルであるが、昭和六三年五月に開業したばかりであった。なお、当時本件ホテルのマネジメントに当たっていたのは、ウッドフィン・マネジメント社であった。

ハル子は、本件ホテルにつき、ディズニーランド、ナッツベリーファームなどの観光名所及びビジネス地区に近いという立地条件に恵まれている上、人件費の節約が可能な経営形態であり、建物の外観や従業員の接客態度も良いことなどを大いに気に入り、買収の第一候補にしようと決め、その旨の意向を有することを吉田に伝えた。

(甲一六の1、2、二八の1、2、乙一、二、一八の1、2)

5  吉田らは、ハル子の右意向に従って、平成元年一二月初めころ、本件ホテルの所有者兼売主であるCSSA側の仲介業者であるギレック社に対し、本件ホテルの売値及び詳細な情報を提供するように求めた。なお、ギレック社は、CSSAに依頼されて買主を探していた不動産ブローカーであるが、被告との間に直接の資本関係はないものの、被告から相当数の社員が出向し、被告ロスアンゼルス支店と同一の建物に入居しているなど、被告と親密な関係にある会社であった。(甲二九の1ないし4)

右の際、吉田らは、当初、当て推量で本件ホテルを一〇〇〇万ドルで売却してほしい旨の提案をしてみた。一方、売主CSSAは、ギレック社に対し、一四五〇万ドルで売りたいとの意向を示しており、ギレック社は、本件ホテルを右一四五〇万ドルで売ることは困難であると判断し、遅くとも同月六日ころ、CSSAの売却希望価格を一四〇〇万ドルとし、その旨を記載した本件ホテルの投資概要(Investment Summary インベストメント・サマリー)を吉田に交付した。

なお、右投資概要には収益保証に関する記載は存在せず、右当初の交渉段階では、本件ホテルにつき収益保証をすることは売買の条件とされていなかったものである。

(甲九の1、2、四八、乙一〇の1、2)

6  その後、ギレック社は、吉田に対し、本件ホテルの情報開示及び買収の価格交渉をするについては、原告春好観光からのレター・オブ・インテントの提出が必要であるとして、その提出を正式に要求してきた。

吉田は、本件ホテル買収の条件交渉に必要な資料を入手したり、売主が他の買主に売却してしまうことを避けるためには、米国の商習慣に従い、独占的な交渉期間(exclusive period)を一〇週間ほど設けることが得策であると判断したところ、ギレック社において、右一〇週間ほどの独占的な交渉期間の確約を受けるためには、売買代金については一四〇〇万ドルを下回ることはできない旨を主張した。そこで、結局、吉田は、原告春好観光に対し、売買代金を一四〇〇万ドル、右独占的交渉期間を一〇週間とするレター・オブ・インテントを提出することを勧めた。

その一方で、吉田は、ギレック社を経由してCSSA及びウッドフィン社に対し、売買価格を値下げするように引き続き強く要請していたものであるが、CSSAから一四〇〇万ドル以下に下げることを拒絶されたため、その代償として三年間九パーセントの収益保証を売買条件とすることを要求した。これにつき、ウッドフィン社も日本人が不動産投資をする場合にそのような収益保証を要求する場合がしばしばあることを承知していたため、そのころ、九パーセントの収益保証を売買条件とすることがほぼ了解された。(原告らは、本件売買契約につき当初から右収益保証が売買条件とされていた旨を主張するが、前記投資概要にも収益保証に関する記載はなく、その余の証拠を総合すると、結局、右投資概要の作成後、右レター・オブ・インテント作成の直前ころに初めて収益保証の話が提案されるようになったとうかがわれ、原告らの右主張については、これを認めるに足りる的確な証拠がなく、採用することができない。)

以上の経緯によって、原告春好観光(の代表取締役ハル子)は、同月二二日ころ、前記内容のレター・オブ・インテント(甲四の1)に署名し、同月二五日ころ被告を介してこれをギレック社に送付した。

右レター・オブ・インテントには、買主の申込みに係る購入価格として一四〇〇万ドルと記載されていたが、同時に「鑑定評価書の結果によっては変更することもありうる」という趣旨の文言も記載されており、少なくとも同書面上は価格等の条件は交渉次第で変更の余地があったものであり、買受義務の点を含めて、右書面はあくまでも買主を拘束するものではなかった。被告はその旨をハル子らに説明しており、ハル子らはそのことを了知していた。(なお、原告らの主張中には、右レター・オブ・インテントの内容、効力が右のようなものでなく、吉田がハル子らに誤導的な説明をしていたと主張しているとも思われる部分があるが、そのような主張であるとすれば、採用の限りではない。)

(甲四の1ないし2、四八、乙一〇の1、2)

7  同月二九日、CSSAは、ウッドフィン社とのマネジメント契約を解約した上、グラハム・テイラー社と本件ホテルに関するマネジメント契約を締結し、翌平成二年一月一日から同社がマネジメントを開始した。

(甲一〇の1、2)

8  平成二年一月一七日、売主であるCSSAの四人のジェネラルパートナー(無限責任社員)は前記のような売買条件を承認して、前記レター・オブ・インテント(甲四の1)に署名し、これによって、原告春好観光は同年三月二八日までの一〇週間の独占的交渉期間を獲得することができた。

そこで、吉田は、本件ホテルの当初の売値である一四〇〇万ドルが適正な価格であるかどうかについて知るために予備的鑑定をすることにし、G&E社に対し、本件ホテルの予備的鑑定を依頼した。

(甲四の1、2、三〇、四九、乙一、七)

9  一方、右のように本件ホテルの買収交渉が本格的に開始されたことから、原告春好観光と被告は、同年二月一日本件コンサルティング契約を締結し、これに関する依頼契約書(甲一。以下「本件コンサルティング依頼書」という。)を作成したが、前記のとおり、被告は原告春好観光に対し、米国におけるホテル情報を提供し、現地のホテルを幾つも案内し、かつ、既に本件ホテルの買収交渉に現実に着手していたため、右契約書は、それらの被告の先行的サービス事務を含めて、本件ホテルの買収契約が成立した場合、原告春好観光は被告に対し、コンサルティング手数料の名目で物件価格の三パーセント相当分の円貨を報酬として支払うことを明確化したものであった。

もっとも、この時点では最終的な売買価格が未定であったため、右契約書の物件価格欄及びコンサルティング手数料欄の金額は空欄のままとし、後記のとおり、本件売買契約締結後の同年四月に至って右金額等が記載されたものである。

また、本件コンサルティング依頼書中には「コンサルティングの内容」として「(1) 上記不動産の紹介及び売主側との折衝 (2) 弁護士・会計士等のアレンジメント (3) 上記不動産購入に伴う現地法人設立の補助 (4) 管理会社の紹介等、物件管理に伴うセッティング」と記載されているが、右「コンサルティングの内容」として記載された業務として、被告が具体的にどのような事務をすべきであるのかについては、右契約当事者間において格別の話合いがされたことはなかった。(甲一、乙一二)

そして、同年二月七日ころ、被告福島支店は、原告春好観光に対し、買収資金を円で調達する場合とドルで調達する場合の得失についての説明をし、また、当時の金利水準が高金利であったことに鑑み、変動金利で資金調達した方が良いとする内容の「貴社米国現地法人の資金調達に対するご提案」と題する書面(甲二七。ただし、二枚目に綴られた「請求書」を除く。右請求書は同年四月一二日以降に交付されたものが何らかの理由で混入したものと認められる。)を交付した。なお、右書面には今後の為替レートは一ドル一四〇円ないし一四五円前後で推移するのではないかという趣旨の被告福島支店の見通しが記載されていたが、後記のとおり、現実には、その後は相当の円安となった。

10  また、同年二月初めころ、被告は、本件コンサルティング契約に従い、G&E社に対し、前記予備的鑑定に次いで本件ホテルの価額の正式な鑑定を依頼するとともに、アーサー・アンダーセン会計社の酒井会計士に対し、本件ホテルの経営上、収益上の問題点についての調査及び助言を、リリック・マクホース事務所の日本とカリフォルニア州の弁護士資格を有する岩永弁護士、ラモア弁護士及びニーセン弁護士に対し、本件ホテルの権利関係の調査及び売買契約書その他付帯契約書の内容のチェック並びに右問題点についての売主側との交渉をそれぞれ依頼した。

11  G&E社のショバーグは、同月五日、本件ホテルの実査を行い、同月二〇日に一四〇〇万ドルの売値は妥当なものであるとする内容の予備的鑑定を同年三月五日に本鑑定(鑑定価格一三七〇万ドル)をそれぞれ提出した。

前記のとおり、本件ホテルの売主側の希望売買価格は一四〇〇万ドルであったが、右ショバーグ鑑定によって、ハル子らは、売主側の右希望価格が概ね適正なものであるという認識を持ち、これを基にしてその後の売買交渉をすることになった。

(乙一、二)

12  吉田は、同年三月五日ころ、真下支店長に対し、ウイッドフィン社から提出された収支計算を送付し、同日、真下支店長はこれに基づき「春好観光(株)海外不動産案件」と題する書面(甲五)を作成し、将久に交付した。右書面中には、右収支計算が誰によって作成されたものであるのかについての記載がなかったが、真下支店長は、右交付に際し、将久に対し、右収支計算は売主の予想的試算にすぎない旨を告げた。なお、右の収支計算は、本件ホテルの稼働率が八五パーセントで安定すると予測するなど非常に楽観的なものであった。(この点につき、原告らは、真下支店長は右収支予想が売主の予測であることを告げず、あたかも被告の独自の試算であるかのように述べた旨主張する。しかし、証拠上は右のとおりであるのみならず、仮に原告らの主張のとおりであったとしても、ハル子及び将久は、海外不動産取引については素人とはいえ、少なくとも日本におけるホテル経営に関しては専門家であり、ホテルの収支計算、予測等に関する限り、真下支店長、吉田ら被告従業員に比べて遜色のない知識経験を有していると考えられ、また、ホテルの稼働率、経費等の試算、予測等については米国と日本とで必ずしも全く異なるものではないと考えられることなどからすれば、ハル子らにおいて右収支予想を独自に分析することは十分可能であったというべきであり、ハル子らが右収支予想を被告作成のものであるから信頼できるものと考えてそれを鵜呑みにしたというのは、当初から本件ホテルの買収価格及び被告からの融資額が一四〇〇万ドル程度の金額になるとされており、原告春好観光の経営規模と対比してそれが極めて高額な取引であったことからしても著しく不自然というべきであり、ハル子らは、右収支予想が誰によって作成されたものであったとしても、それが一個の予想にすぎないことを了知した上で、最終的に、当時の経済情勢に照らして自ら適宜の分析検討をした結果、本件ホテルの買収につき、一四〇〇万ドルの投資に見合う収益を上げることができるであろうと判断したものと容易に推認されるから、右収支計算の作成者に関する点はいずれにしても本件の結論を左右しないところというべきである。)

(甲五、二八の1)

一方、岩永弁護士は、売買代金を一四〇〇万ドルとする売買契約及びマネジメント契約の原案(ドラフト)を作成して吉田に交付し、吉田は、同月九日、右原案のうち売買契約分のみを和訳したものを、原告春好観光にファックス送信した。

(甲六)

13  同年三月一二日、ハル子、将久及び阿部一雅は、再度本件ホテルを実査し、また、売主並びに依頼した弁護士及び会計士らと直接面談する目的で、真下支店長及び吉田の案内で訪米した。

右訪米中、ハル子らは、まず、岩永弁護士、ラモア弁護士及びニーセン弁護士と面談し、その席上、岩永弁護士は、ハル子らに対し、原告らが直接米国人の従業員と雇用契約を締結すると、人種問題などが生じる危険があるため、マネジメント会社が従業員を雇用して原告らがそれを管理するという形態を取った方が良く、また、売主側の契約案ではマネジメント会社の解約が困難であるので、これについても検討を要する旨の助言をした。

次いで、ハル子らは、ウッドフィン社のハーデージ会長及び当時の上級副社長であって本件ホテルの売買についての責任者であったリーバーと会見し、その場には、吉田、真下支店長、岩永弁護士、ラモア弁護士及びニーセン弁護士も同席した。その席上、岩永弁護士は、ウッドフィン社に対し、原告らが直接米国人の従業員を雇用するという雇用契約の形式を再考するようにウッドフィン社に要求し、ウッドフィン社もこれに同意したが、マネジメント契約の内容についてはなお最終的な了解に達しなかった。

(甲五二の1、2)

さらに、右訪米中、ハル子らは、酒井会計士との間で、現地法人(原告ハルヨシ)の設立手続及び過小資本の問題について打ち合わせ、その際、酒井会計士は、ハル子らに対し、現在本件ホテルのマネジメントはグラハム・テイラー社が行っているが、原告らが本件ホテルを取得した後は再びウッドフィン・マネジメント社がマネジメントに当たるという説明をした。(なお、原告らは、酒井会計士からマネジメント会社がグラハム・テイラー社に変更されたことの説明を受けていないと主張するが、右の根拠とされるファックス文書(甲三八の1、2)は、グラハム・テイラー社の財務資料が未提出であるから早急に提出されたいという趣旨の依頼文書にすぎないのであるから、それをもって、酒井会計士が平成二年三月一二日の時点でマネジメント会社が変更されていたことを知らず、ひいては右面談に際して同会計士がハル子らにそのことを説明しなかったことの証左とすることはできないものというべきである。)

しかし、昭和六三年五月の開業から平成元年にかけて、本件ホテルの経営は赤字であって、CSSAは本件ホテルの運営につき毎月二万ドルないし九万ドルの運営資金を支出している状況にあった。しかし、酒井会計士は、未だその点の関係資料の提出を受けていなかったため、ハル子らに対してその点の説明をすることができなかった。

その後、ハル子らは、ショバーグと会い、また、本件ホテルを再度実査するなどした後帰国した。

(甲三八の1、2)

14  平成二年三月一六日、ラモア弁護士は本件売買契約書の案を作成した上吉田にファックス送信し、吉田はそのころ原告春好観光に対し右契約書案を郵送した。右契約書案における売買代金は一四〇〇万ドルであり、収益保証は年間一四〇〇万ドルの九パーセントとし、売買代金中の五〇万ドルをエスクロー預託(条件付第三者預託)にして右収益保証の履行の確保とし、マネジメント契約期間は五年間とし、一二か月前に通知すれば解約金なしに解約できるというものであった。

右文案は英語で書かれていたため、ハル子及び将久は、吉田に対し和訳を依頼し、吉田は部下にその主要な部分を弥縫策的に和訳をさせて同月三〇日原告春好観光にファックス送信したが、後記のとおり、右和訳するまでにフランチャイズ契約、マネジメント契約及び収益保証契約の内容が右の案から大きく変更されていたため、右変更のあった部分については和訳を省力したものであった。

(甲一四の1ないし3)

15  一方、ウッドフィン社において、本件売買契約の買主側の弁護士や会計士らに対し、本件ホテルの損益計算書及びCSSAとグラハム・テイラー社との間のマネジメント契約書などについての一部の必要書類を提出しなかったため、同月二一日、ケビン及びニーセン弁護士はリーバーに対し右書類を早急に提出するよう要請し、間もなく右書類が提出されたため、岩永弁護士ら及び酒井会計士らは急いでその検討作業に入った。

(甲三七の1、2、三八の1、2)

また、ラモア弁護士は、吉田らに対し、当初の契約書案では、ウッドフィン社が倒産した場合にエスクロー預託とした金員が破産管財人の管理下に置かれてしまい、担保としての意味がなくなると指摘した。そこで、吉田らは急遽右五〇万ドルについてエスクロー預託という方法で処理することを取り止め、最初から五〇万ドルの支払は留保して、名目上の売買代金を一三五〇万ドルとし、ウッドフィン社が収益保証を履行した場合には右五〇万ドルを支払うが、履行できなかった場合には右五〇万ドルを収益保証の不足分に充当するという方法に変更することとした。

(甲四一の1、2、四三の1、2)

16  同月二六日、被告ロスアンゼルス支店ないしその関係する弁護士らが補助して、原告ハルヨシが設立された。

しかし、そのころに至って、リーバー及びその代理人の弁護士は、突如、吉田及び岩永弁護士に対し、収益保証を八パーセントに減額して利回りは三年間の累積を基に計算すること、マネジメント契約については二〇年間解約できないようにすることなどの新条件を持ち出してきた。これに対し、吉田らは、リーバーらが原告らの足下を見て強気に出てきたものと受け取り、当初の案のとおり、収益保証については各年毎に一四〇〇万ドルの九パーセントとし、マネジメント契約についても容易に解約できるようにすべきであることを強く主張し、そのため売主側と買主側とが激しく対立し、約一週間にわたり喧曄腰の折衝をした。その結果、リーバーは、収益保証を八パーセントとすること、利回りを三年間の累積にすることについての提案は撤回したものの、収益保証の基準額について、前記のとおり名目的な代金額が一三五〇万ドルに減額されたことを理由に、収益保証の基準額も一三五〇万ドルに減額することを要求した。これに対し、岩永弁護士及びラモア弁護士は実質的代金額である一四〇〇万ドルのままとすることを主張した。

また、リーバーは、ウッドフィン社は三年間の収益保証をするのであるから、その期間内には解約できないようにすべきであり、さらに、右収益保証期間の経過後も早期に解約されては困るから、その後も解約するためには解約手数料を支払わなければならないとの条項を盛り込むべきであると強硬に主張した。

同月三〇日、右緊迫した最終的な折衝状況の下で、岩永弁護士と吉田及びハル子らは電話会議で対応策を協議し、その際、吉田は、ハル子らに対し、売主やリーバーらが買主側の足下を見ているので、条件次第では本件ホテルの買収をやめる覚悟で交渉すべきである旨を進言した。

しかし、ハル子は、本件ホテルの買収に積極的となっており、また、当時既に前記の独占的交渉期間が経過し、リーバーが他にも購入希望者はいるなどと述べていたこともあって、結局、収益保証については一三五〇万ドルの九パーセントとし、マネジメント契約については期間を二〇年間とし、契約後三年間は解約できず、その後も解約する際には所定の手数料を支払うという条件で買収交渉を進めることを承知し、その旨を吉田らに告げた。なお、同月二八日に前記独占的交渉期間が経過し、契約を締結すべき時期が切迫していたこともあって、岩永弁護士ら及び吉田は各契約書の最新案を一々和訳して原告らに交付することはしなかったが、交渉経過の主要な部分及び本件売買契約の要旨については、岩永弁護士及びラモア弁護士が、随時吉田を経由して口頭で原告らに報告していたものである。(原告らは、右の収益保証契約及びマネジメント契約の変更の経緯を全く知らされておらず、右変更を承諾したこともない旨主張し、証人阿部憲史郎もこれと同旨の証言をしている。しかし、証人吉田理の証言や、リリック・マクホース事務所作成の業務内容覚書(甲五二の1、2)の平成二年三月三〇日の欄に「経営契約書と収入保証の最終問題についてヨシダ氏及びアベ氏と電話会議」との記載があることなどからして、岩永弁護士が電話で吉田及びハル子らに対しマネジメント契約及び収益保証の最終案についての説明をし、承諾を求めていたことが認められ、原告らの右主張は採用することができない。)

(甲九、四一ないし四三、五二の各1、2、二六、乙三、四、八、九)

17  同年三月末ころ、日本円の対米ドル為替ルートは急激に下がり、同年二月ころには一ドル一四〇円ないし一四五円で推移していたものが、一ドル一五五円ないし一六〇円になった。

(甲四四、四五の1ないし5)

18  同年四月三日、以上の経過で、原告ハルヨシは、CSSAとの間で本件売買契約を締結するとともに、ウッドフィン社との間で本件フランチャイルズ契約を、ウッドフィン・マネジメント社との間で本件マネジメント契約をそれぞれ締結した。また、同日、ウッドフィン社と原告ハルヨシは、本件収益保証契約を締結した。(甲二一の1、2、乙三、四、八、九)

なお、右契約書の署名方法は、ラモア弁護士が吉田に対しハル子が署名すべきページのみをファックスで送信する方法がよいと提案したため、この方法で行われた。(甲四三の1、2、乙一三)

19  そのころ、被告は原告らに対し本件融資を実行し、この融資金によって原告春好観光は原告ハルヨシに対し資本金三〇〇万ドルを払い込み、かつ、四六〇万ドルを貸し渡した。

同月一二日までの間に、原告ハルヨシはCSSAに対し売買代金一三五〇万ドルを支払い、本件ホテルの所有権を取得した。なお、吉田は、ハル子らに対し、ウッドフィン社は油断のならない会社であるから、有効な所有権の移転が弁護士によって確認されるまで、残代金を振り込まないように助言していた。

そして、原告ハルヨシは、同月二〇日ころ、本件コンサルティング依頼書(甲一)のうち、前記空欄のままであった金額欄等に金額を補充した上、被告に対し、コンサルティング手数料として売買代金の三パーセント相当である四一万七一五〇ドル(消費税込み)を支払った。

また、そのころ、CSSAは、ウッドフィン社に対し手数料として二九万三五五五ドル四三セントを支払い、また、売主のため本件売買契約の仲介を行ったギレック社に対し二〇万二五〇〇ドルを、YMインベストメント社に対し四七万二五〇〇ドルをそれぞれ仲介手数料として支払った。なお、YMインベストメント社はギレック社の松本ユキオ副社長の個人会社であった。

(甲一、二、二九の1ないし4、三一の1、2、乙三)

20  同月一一日、酒井会計士は、本件ホテルの経営、財務に関する報告書を被告に提出し、右報告書は吉田を通じて同月二〇日ころ原告春好観光に送付された。右報告書には、ウッドフィン社の作成した収支予想は楽観的に過ぎるという内容の記載とともに、平成元年度中にCSSAが本件ホテルの運転資金を毎月拠出していた旨の記載があった。

(甲一五の1、2)

また、同月一七日ころ、真下支店長は原告春好観光に対し本件ホテルについての物件案内書(甲二八)を交付したが、真下支店長は吉田及びハル子らから本件売買契約締結直前の前記収益保証の条件変更について知らされていなかったため、右物件案内書には、右収益保証契約が一四〇〇万ドルの九パーセントであることを前提としたままの計算が記載されていた。

21  同月二三日、ハル子及び将久は、被告福島支店の設営により、来日したハーデージとともに福島県庁において記者会見をし、本件ホテルを買収したことを発表した。その際、ハル子らは、本件売買契約の主たる目的は不動産投資であったことには触れず、海外ホテル経営のノウハウ取得が目的であり、将来的には従業員の国際交流を行いたいという趣旨の発言をし、また、右記者会見の前後にもハル子らはマスコミの取材に対し同趣旨の発言をした。(被告は、原告らの本件ホテル買収の目的が、単なる投資ではなく、海外ホテル経営のノウハウの取得、ひいてはチェーン展開等にあったと主張する。確かに、ハル子らは右記者会見に際し、福島ワシントンホテル開業一〇周年を記念し国際化を図るために海外進出をした旨を発表し、また、そのころ、新聞広告にも本件ホテルを掲載するなどして、原告らが本件ホテルを買収したことを積極的に広告宣伝してその営業のために利用していたことが認められる(乙五の1ないし4、一四、二二、二三)。

しかし、前掲各証拠によれば、本件売買契約締結交渉の比較的早期の段階から、本件ホテルの管理はギレック社、マネジメントはウッドフィン・マネジメント社に任され、原告らが人員を派遣し直接経営に関与することはないことが前提となっていたこと、本件ホテルの買収資金の返済計画は元利均等払いではなく一〇年間にわたって利息のみを支払い、元金は一〇年後に見直しないしは一括弁済する約定になっていたこと(甲五)が認められ、これらの事情をも総合すると、平成元年一一月から一二月にかけて訪米してホテルを見て周ったころまでのハル子の真意は右記者会見での発言のとおりであったとしても、少なくとも本件売買契約締結当時においては、原告春好観光の本件ホテルの買収は、積極的に海外においてホテルチェーンを展開するという計画の下に行われたものではなく、むしろ、その運営利益の取得及び一〇年後の転売による転売差益の取得を主目的にした投資であって、海外進出や人事交流は副次的な目的にすぎなかったと認めるのが相当であるというべきである。もっとも、原告らが本件ホテルを買収した目的は原告ら全員につき必ずしも一義的に明確なものではなく、各時期及びハル子ら各人ごとに主従が変転し流動的なものであったのではないかともうかがわれるが、いずれにしても、本件ホテルの買収についての原告らの右のような「主たる目的」ないし「真意」が何れであったかによって本件の結論が有意に左右されるものではないというべきである。)

(甲五九ないし六一、乙五の1ないし4、一四、二二、二三)

22  その後、原告らは、ウッドフィン・マネジメント社にマネジメントを、収益の送金等をギレック社に依頼して本件ホテルの経営に当たったが、その収益は、平成二年(同年四月一二日から一二月三一日)が三九万五一七一ドル、平成三年が六五万六五一〇ドル、平成四年が七二万九五七九ドルであり、収益保証一二一万五〇〇〇ドル(平成二年は四月一二日から一二月三一日であるため八七万四一二五ドル)との差額は、それぞれ四七万八九五四ドル(甲二三によれば四七万八九五三ドル)、五五万八四九〇ドル及び四八万五四二一ドル(甲二三によれば四八万五四二〇ドル)であり、ウッドフィン社は原告ハルヨシに対し合計一五二万二八六五ドルの収益保証の支払債務を負担するに至った。しかし、ウッドフィン社は右債務のうち五〇万ドル分については前記支払留保分を充当し、その他にも一部は未払いのフランチャイズ料及びマーケティング料と相殺したが、結局残額については支払うことができず、原告ハルヨシに対し分割弁済とすることを懇願した。

一方、原告ハルヨシは、本件ホテルの収益が上がらないのはウッドフィン・マネジメント社のマネジメント能力に問題があるためと考え、平成五年四月に同社との間の本件マネジメント契約を解約したが、その際、原告ハルヨシは、ウッドフィン・マネジメント社に対し、本件マネジメント契約所定の前記解約手数料の支払債務を負うに至り、そのため、ウッドフィン社に対する前記収益保証債権の残額を自働債権とし、解約手数料債務六八万七八四ドルと対当額で相殺する処置をした。

(甲二〇の1、2、二一の1、2、二三、二四の1、2、四六の1ないし5の各1、2、四七の1ないし3、乙四、九)

原告ハルヨシは、その後平成五年四月からグラハム・テイラー社に本件ホテルのマネジメントを依頼したが、同年の収益は六五万四五五二ドル、平成六年の収益は五五万一二九一ドルとさらに低下し、そのため、平成七年からはグラハム・テイラー社とのマネジメント契約も解約し、自ら支配人を雇ってマネジメントに当たることとし、売上の合計額の九パーセントであるマネジメント料、フランチャイズ料及びマーケティング料が節約できたこともあって、同年の収益は九六万一四四五ドルとなった。

そして、平成八年の営業成績はさらに好転し、一月から五月にかけて四八万三二八六ドルの収益が上がり、同年の年間予想収益は一一一万二三一九ドルに達している。

(乙三三の2、三五の1ないし7)

二  以上に基づき、争点につき検討する。

1  本件コンサルティング契約の性質及び被告の債務内容

本件コンサルティング契約の手数料は、本件ホテルの売買価格一三五〇万ドルの三パーセント相当の四一万七一五〇ドル(消費税を含む。)であり、被告が原告らのためにした作業ないし事務内容及び本件コンサルティング契約の締結に至る経緯等は前記認定のとおりであって、本件コンサルティング契約の締結に先行して、被告が原告らに対し、米国におけるホテルの買収につき相当の仲介的事務を実施していたことが明らかである。

そして、ギレック社がCSSAから前記のとおりの仲介手数料を取得しているのに対し、原告らは、本件売買契約及びこれに関連する前記諸契約の締結につき、被告に対し右売買代金の三パーセントに相当する手数料を支払ったほかには、格別に仲介手数料に当たるような手数料を支払ったことが認められない(ただし、被告から紹介され、助言を受けた前記弁護士に対し若干の報酬を支払ったことがうかがわれるが、本件売買代金額に比べれば極めて少額である(甲五二の1、2)ので、本件の結論を左右しないものとして、措くこととする。)から、被告の取得した右手数料は、右三パーセントというその割合からしても、また、本件売買契約が成立しない限り支払を受けることができないものとされていたというその約定内容からしても、被告が原告ハルヨシから受領した手数料は、基本的に我が国における一般的な不動産売買の仲介手数料に近似した性質のものであったと認められ、本件コンサルティング契約の中核的内容としてそのような仲介契約の要素が包含されていたことは明らかというべきである(証人吉田理の証言によれば、被告は、国内においては不動産仲介業者の資格を有するが、米国においてはその資格を有しないことが認められる。本件売買契約はホテルの買収に係る契約であって、単純な不動産売買取引ではなく、ホテルとしての収益及び経営内容に着目した取引であったが、本件コンサルティング契約の基本的内容として、不動産売買の仲介と類似のホテルの売主と買主とを相互に紹介し売買契約を成約させるという媒介事務が含まれており、右コンサルティング手数料中に仲介報酬としての要素が含まれていたことは明らかというべきであって、これを否定すべき事情は証拠上全く見当たらない。)。

もっとも、本件コンサルティング契約上被告が負っていた債務が単なる仲介事務に限局されていたものでないことは、これに係る本件コンサルティング依頼書(甲一)中の前記記載内容及び弁論の全趣旨からして明らかであり、加えて、被告は、海外不動産課を設置し、顧客の対米不動産投資についてアドバイスすることなどの営業をし、海外不動産投資に関して高度の知識、能力を有していたものであり、一方、原告春好観光は、国内におけるホテル経営に関しては相当な知識経験を有するものの、海外で不動産売買を行った経験はなく、海外における不動産取引に関する知識経験が乏しいものであったから、本件コンサルティング依頼書中の「コンサルティングの内容」欄記載のとおり、被告は原告らに対し、不動産の紹介及び売主側との折衝、弁護士・会計士等のアレンジメント、現地法人設立の補助、管理会社の紹介等物件管理に伴うセッティングという事務をすべき債務を負っていたものというべきである。もっとも、その内容について契約当事者間において格別話し合われたことがないことは前記のとおりであるから、結局、右コンサルティング事務の内容については、契約上の信義誠実の原則に沿って解釈認定するほかないものというべきである。

そして、原告らの主張は、要するに、被告がした右事務内容が信義誠実の原則に反するもので、不完全であったというに帰するものと解されるが、以下、前記認定事実に基づき、原告らの主張に沿って被告の債務不履行責任の存否について順次検討することとする。(なお、本件コンサルティング契約上の当事者間に争いがない被告の債務である原告ハルヨシの設立に関する事務については、債務不履行があったことの主張立証が全くない。)

2  債務不履行の有無

(一) 対象物件についての調査・助言義務違反の有無

(1)  原告らは、本件売買契約当時の本件ホテルの適正価格は約九三〇万ドルであったと主張した上で、被告は右の調査義務を怠り、原告ハルヨシに対し売主の言い値である一四〇〇万ドルで購入させたと主張する。

そこで、まず、本件ホテルの実質的な売買価格というべき一四〇〇万ドルが、適正価格の範囲を逸脱したものであったか否かについて検討する。

(2)  前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、一般に、米国の不動産価格は主に収益還元法によって決定されることが多いようであるところ、本件ホテルの収益は最低であった平成六年度が五五万一二九一ドルであり、これを基にして計算すると、本件ホテルの適正価格は、年利回りを七パーセントとする場合が約七八八万ドル、同八パーセントとする場合が約六八九万ドルとなる。

しかし、右収益の回復した平成八年度は同年一月から五月にかけて四八万三二八六ドルの収益があり、年間の収益が一一一万二三一九ドルと推計できるから、前記のとおり、原告らがマネジメント会社を解約し、自ら運営することなどによってマネジメント手数料などの経費を節約していると認められることからして、その節約額を約二五万ドル(原告らの主張)と仮定し、これを控除して右年間の収益を約八六万ドルとして計算しても、本件ホテルの適正価格は、年利回り七パーセントとする場合が約一二二八万ドル、同八パーセントとする場合が約一〇七五万ドルとなる。

このように、各年毎の収益に基づき右のような収益還元法によって本件ホテルの適正価格を算出すると、その価格は年度によって相当上下するものであることが明らかである。

加えて、前記のとおり、本件ホテルの稼働率は、昭和六三年は三九パーセントにすぎなかったが、翌平成元年には約七一パーセントに達しており、このように開業したばかりのため稼働率が安定していないから、昭和六三年における本件ホテルの価格を収益還元法のみによって決定するのは相当でないというべきであるし、そのことは平成元年についても、平成二年四月の本件売買契約締結当時の本件ホテルの価格算定についても妥当する。

(3)  すなわち、従前から安定した収益を上げているホテルであれば、将来多少の変動があるにせよ、一定の収益が得られるであろうことを比較的容易に予見することができるが、本件ホテルは前記のとおり昭和六三年五月に開業したばかりであって、ショバーグ鑑定が実施された平成二年三月ころ、いまだ右収益や経費などが安定しておらず、将来の収支を予測するについては不確定要素が多かったものであるから、そのような時点における鑑定としては、右のような不確定要素につき適宜の予測ないし見込みを織り込んでするほかなく、かつ、その鑑定価格が適正であるかどうかについても前記諸般の要素、事情が流動的なものであったことからして相当の幅があり、仮にその鑑定価格がその後の実勢価格と相当乖離していたとしても、そのことのみで右鑑定が適正でなかったとはいえないというべきである。

その上、被告において、右鑑定が適正でないと判断し、その旨を原告春好観光に助言すべき義務があったと認めるについては、右鑑定が専門家によるものであることからして、当該鑑定の手法や内容が一般的な鑑定の水準から相当程度逸脱しており、それが不合理なことが専門家でない者にも比較的容易に判別し得るような場合に限られるものというべきである。

(4) そこで、右のような考え方を基本として、ショバーグ鑑定(乙二)により求められた一三七〇万ドルの価格が、当時の本件ホテルの適正価格の範囲を逸脱していたものであったかどうかについて検討する。

a 稼働率

ショバーグ鑑定は、本件ホテルの今後の稼働率予測について、平成二年が七四パーセント、平成三年ないし五年が七五パーセント、平成六年及び七年が七六パーセントとなり、平成八年以降は七七パーセントで安定化するものと想定している。

右予測は、前記のとおり、本件ホテルの現実の稼働率が昭和六三年には約三九パーセントであったものが平成元年には約七一パーセントまでに急激に上昇していることに照らして、不合理な予測であったとはいえない。

しかも、アーサー・アンダーセン会計社の報告書(甲一五の1、2)によれば、本件ホテルは商用客が多いため週末に稼働率が落ち込むという難点があったが、これを補うため、二つの航空会社及びディズニーランドと提携する計画を立てていたこと、他の比較可能なウッドフィン・スウィート系列のホテルでは現実に八〇パーセントの稼働率を達成しているものがあったとされていることなどからしても、ショバーグ鑑定における本件ホテルの右稼働率に関する予測が直ちに合理性を欠くものであるとはいえない。

そして、ショバーグ鑑定は、本件ホテルの周囲に競合するホテルが増加し、近隣の全ホテルの平均稼働率が約七一パーセントから約五五パーセントに低下するであろうとの予測を述べながら、本件ホテルの利用客は商用客の占める割合が大きく、今後は商用の宿泊需要がその他の宿泊需要に比較して大きく増加すると予測している。

原告らはこれを不合理な予測であると非難するが、前記のとおり、本件ホテルの稼働率は開業後約一年で早くも近隣ホテルの平均稼働率に近い約七一パーセントに達していることなどからして、ショバーグ鑑定における右予測を直ちに不適切であったと非難することはできないものというべきである。

なお、原告が信用すべき鑑定であると主張しているフィリップ・ベリンスの鑑定(以下「ベリンス鑑定」という。甲一六の1、2)においても、本件ホテルの稼働率は平成三年度以降七五パーセントで安定化すると予測していることからしても、右ショバーグ鑑定の予測は不合理なものとはいえない。

b 平均室料

ショバーグ鑑定は、平均室料が平成七年までは毎年四パーセント、それ以降は毎年五パーセントの割合で増加するものと予測している。

右につき、原告らは、ショバーグ鑑定は平均室料と稼働率とを関連させて分析していないため合理性がない旨主張する。

確かに、極めて単純素朴な経済学的には、稼働率を上昇させるためには平均室料を低廉に抑える必要があるといえるかも知れない。

しかし、右の平均室料なるものはあくまでも将来の予測数値であり、その予測につきある程度の幅が存在することはやむを得ないものというべきであるのみならず、現実には、宿泊需要が増加する場合に、稼働率及び平均室料が同時に上昇することも一般的に十分あり得る事柄であって、現に本件ホテルの平成元年の実績上でも稼働率の高い月に平均室料を低下させていたという現象は認められない(これを否定する証拠はない。)ことなどから考慮すれば、将来商用を中心として本件ホテルの宿泊需要が増大するとの見地に立ったショバーグ鑑定が稼働率及び平均室料がともに上昇するという予測をしたことは、仮にそれが若干楽観的なものであったとしても、それをもって合理性を欠くものであるとは到底いえないものというべきである。しかも、原告らの経営努力と米国経済の復興があったにしても、平成八年の本件ホテルの経営が比較的好調であることは前記のとおりである。

c 経費

原告らは、ショバーグ鑑定において、本件ホテルの客室経費につき、平成元年の実績が約七四万四〇〇〇ドルであったにもかかわらず、平成二年の予測が約六四万ドルとされていることにつき、予測稼働率が上昇しているにもかかわらず、予測経費が減少しており、経費を過小に見積もっているとして非難している。

しかし、前記のとおり本件ホテルは昭和六三年に開業したものであって、平成元年が最初の通年営業年度であったから、同年度に最良の経営効率を期待することはできず、その後経営が効率化されて不要な経費が省かれるということも一般的にあり得るものであり、少なくともそのような見方をしたからといってそれが不合理であるとはいえず、加えて、前記ベリンス鑑定も本件ホテルの平成二年の経費率を平成元年よりも低く予測しており(甲一六の1、2、証人フィリップ・ベリンス)、以上に照らして、右経費の点をもって、ショバーグ鑑定の内容が不当であるとまで断ずることは到底できないものというべきである。

d 鑑定資格

原告らは、G&E社が専門の不動産鑑定会社ではなく、ショバーグが不動産鑑定士協会会員(MAI)の資格を有していないことを理由として、ショバーグは本件ホテルの鑑定につき適格者でなかったと主張する。

確かに、G&E社は、鑑定・コンサルティング部門を有しているとはいえ、本業は不動産ブローカーであり、また、ショバーグは不動産カウンセラー(CRE)であって、不動産鑑定士協会の会員ではなく、CREは本来不動産の鑑定を行うことのできる資格ではないことが認められる(甲一九、乙七)。

しかし、当時の米国においては、我が国の不動産鑑定士に相当する国家資格は存在せず、MAIでないものであってもしばしば鑑定を行っていたことが認められる(乙一六、三二。なお、このことは、MAIの資格を有しないベリンスが本件ホテルの鑑定を行っていることからしても明らかである。)。

したがって、被告において、本件ホテルの鑑定をMAIの資格を有しない者に依頼したからといって、直ちに不当であるということはできず、それをもって、被告に本件コンサルティング契約上の債務不履行があったとすることは到底できないものというべきである。

しかも、前記のとおり、ショバーグにより求められた鑑定価格(一三七〇万ドル)が適正価格を明らかに逸脱したものであることを認めるに足りる的確な証拠はなく、仮にMAIの資格を有するものが本件ホテルを鑑定したときショバーグ鑑定よりも大幅ないし有意に低廉な価格が提示されたと認めるに足りる証拠もないから、仮に被告がMAIの資格を有するものに対して鑑定を依頼しなかったことが相当でなかったとしても、そのことと原告ら主張の損害との間には相当因果関係を認めることができないものというべきである。

e 客室数その他

原告らは、本件ホテルの客室数は、その一室が事務室に改造されたことにより一二三室になっているにもかかわらず、ショバーグ鑑定は、それを見逃して一二四室として鑑定しており、また、平成元年一二月末までの資料が入手可能であったにもかかわらず、同年一〇月末までの資料にしか基づいていないことなどを非難する。

しかし、右によって本件ホテルの鑑定結果が大きく左右されることを認めるに足りる証拠は全くないのみならず、仮にそれが右ショバーグ鑑定の一瑕疵に当たるものとしても、右鑑定結果を得て本件売買契約を締結するまでの約一か月間中に、被告においてそれが瑕疵に当たることを認識でき、かつ、認識すべき注意義務があったとも容易に認められないから、被告が右を看過し、原告らに対してそのことを注意しなかったからといって、それをもって被告が本件コンサルティング契約上の債務を履行しなかったものとも、履行したが不完全であったものとも、いまだ到底認められないものというべきである(ショバーグ鑑定(乙二)はそれ自体相当の質量を有する鑑定書であって、専門家でないものがその不合理性を審査判別することは容易でないことが明らかであり、元来右鑑定事務が被告の事務能力の範囲を超える事務であるからこそ、被告は第三者に鑑定を依頼しているものである。)。

f 以上を総合すると、ショバーグ鑑定が、右稼働率、平均室料及び経費等の原告らの主張する点について、仮に若干楽観的な予想をしていたものとしても、元来開業まもない本件ホテルについて前記不確定な将来の予想数値に依拠して鑑定するほかなかったものであることは、被告のみならず原告らにも当然分かっていた事柄であり、その鑑定価格とその後の現実の国際経済、米国経済、本件ホテル周辺の経済や不動産価格等の変動によって形成された本件ホテルの実勢価格との間に相当の幅があったとしてもやむを得ないことというべきであり、そのようなことは、原告らにおいても、まさにホテルを経営しているいわば専門家であることからして、右鑑定をそのようなものとして理解していたものというべきである。以上の次第であって、一三七〇万ドルという右鑑定結果をもって、直ちに合理性を欠く価格であったとすることは到底困難というべきである(本件ホテルの平成八年の前記好調な収益状況を基準にすれば、現時点における本件ホテルの実勢価格は少なくとも一三〇〇万ドルか、一四〇〇万ドル程度はあるものとうかがわれるから、現時点と対比する限り、ショバーグ鑑定の価格はそれ自体不適正なものといえない。もっとも、ホテルの価格形成要因は多種多様であり、各時点ごとに右各要因の比重自体変動し得るものであろうし、本件で問題とすべきは、あくまでも右鑑定ないし本件売買契約締結当時の本件ホテルの価格とそれとの関連での右鑑定の合理性の存否であるから、現時点を含むそれ以降の実勢価格と対比することには格別の意味がないというべきである。)。

(5) 右につき、証人リーバーは、本件売買契約締結当時の本件ホテルの適正価格は八〇〇ないし九〇〇万ドルと考えていたこと、ひいては、ショバーグ鑑定の評価は過大であって不当である旨の証言をしている。

しかし、右証言に係る価格が適正なものであることについて的確かつ十分な証拠があるわけではない。

のみならず、現にウッドフィン社は、本件マネジメント契約において、本件ホテルにつき年間一三五〇万ドルの九パーセントの収益(各年一二一万五〇〇〇ドル)を三年間にわたって保証したものであり、右は、仮に本件ホテルの価格が九三〇万ドルであると仮定すれば年利回り約一三パーセントに相当し、当時の米国における不動産の平均利回り(甲三、証人藏ケビン)に比較して相当に高率であるところ、右の収益保証が実現できなかった場合には、ウッドフィン社は実際の収益との差額を原告ハルヨシに対し支払わなければならないという重大な責任を負担するのであるから、仮に右証言が真実とすれば、リーバーはウッドフィン社にとって極めて不利な条件で本件収益保証契約を締結したことになるが、ウッドフィン社の責任者であったリーバーがこのような悪条件で右契約を締結したとは容易に考えられず、したがって、そのことからしても、右証言は直ちに採用できない。

なお、念のため付言すると、ウッドフィン社は本件売買契約に際しCSSAの代理人としても行動し、CSSAからその手数料として二九万三五五五ドル四三セントを受領しており、加えて、本件売買契約が成立すれば、ウッドフィン社は前記のとおり原告ハルヨシにおいて容易に解約することが困難な条件下で長期間マネジメントを行うことができるという利益もあったから、リーバーにおいて、右の点を考慮して、収益保証に関しては多少不利な条件であってもやむを得ないと判断して右のような収益保証を承諾したと考えられないわけではない。しかし、本件ホテルの実際の収益と収益保証との差額は前記のとおりであって、平成二年(ただし同年四月一二日から一二月三一日まで)から平成五年(ただし同年一月一日から四月一一日まで)の間にウッドフィン社の負担した収益保証債務は累計一六五万一六九四ドルに達しており、右はウッドフィン社が得た前記手数料(二九万三五五五ドル四三セント)を遥かに上回り、仮にこれに前記解約手数料(六八万〇七八四ドル)を加えた合計九七万四三三九ドル四三セントと対比しても、これを大きく上回っている。そのことからしても、リーバーは本件売買契約当時本件ホテルの収益は年間一二一万五〇〇〇ドルないしはそれに近い数字となるであろうと予測していたものと推認され、右収益に従って前記収益還元法の考え方に基づいて本件ホテルの当時の価格を算定すると少なくとも一四〇〇万ドル程度になる。このような価格と対比するとき、「本件ホテルの適正価格が八〇〇ないし九〇〇万ドルであると考えていた」という証人リーバーの証言は些か無責任なものというべきであって、到底信用できないものというほかない。

また、平成六年五月五日ころ、ハーデージ・グループが本件ホテルを三〇〇万ドルで買い取りたいという申出をしたことが認められる(甲六六の1、2)。しかし、右はあくまでも買取りの申出希望価格にすぎず、同価格で売買が成立したわけではないから、右をもって、本件ホテルの右同時の適正価格が三〇〇万ドルであったことの証左とすることは到底できないものというべきである。

(6) したがって、ショバーグ鑑定により求められた一三七〇万ドルという価格は、それがかなり楽観的な価格であったとしても、本件ホテルの適正な鑑定価格の範囲を逸脱した不合理なものであったと断定することができないものである。したがって、被告ないし吉田らにおいて、右鑑定内容ないし結果が不合理で不当なものであることを認識することができたこと、又はそれを認識すべきであったことがいずれも認められず、ひいては、被告が原告らに対し、右鑑定価格が不合理なものであるとしてそれに依拠しないように助言せず、かえって右鑑定の価格に依拠して本件売買代金額が定められてもやむを得ないこととして本件コンサルティング事務を遂行したことについて、被告に本件コンサルティング契約上の債務不履行があったとすることも到底できないものというべきである。

なお、被告が、原告らの費用においてアーサー・アンダーセン会計社に財務調査を委託しておきながら、右事実等が記載された同社作成の報告書を平成二年四月三日の本件売買契約締結以前に原告らに交付しなかったことには、問題がないとはいえない。しかし、前記認定のとおり、当時レター・オブ・インテントにより設定された交渉期限(同年三月二八日)が既に経過しており、リーバーは他にも本件ホテルの購入希望者がいるなどと言って、原告らに対し、本件ホテルの購入の早期決断を迫ってきていたこと、右報告書の交付が遅れたのはそもそも売主からのアーサー・アンダーセン会計社への資料提出が遅れたためであり、その内容及びその意義は前記のとおりであって、しかも、右報告書を全部和訳するなどしてその全容を本件売買契約締結時点までに原告らに了知させることは事務の実際上至難であったことが認められるから、右報告書が本件売買契約前に交付されなかったことをもって、被告に本件コンサルティング契約上の債務不履行があったとすることは相当でないというべきである。加えて、右報告書が交付されなかったことにより原告らの投資判断が基本的に誤らせられたということについても、右報告書が原告らに交付されていれば原告らが本件売買契約を締結しなかったであろうということについても、いずれもいまだこれを認めるに足りる的確な証拠がないというべきである。(証人吉田理の証言及び弁論の全趣旨によれば、元来前記の鑑定書、契約書、報告書等の関係文書を正確に和訳することは容易でなく、実際上、被告が原告らに紹介した前記弁護士や会計士らでなければできない事務であったこと、したがって、右のような正確な和訳を得るためには、相当額の和訳費用を要し、その費用は少なくとも最終的には原告らが負担すべきものであったこと、いずれにしても、そのような和訳の作業自体に相当の時間を必要としたところ、前記の売買交渉の実情からしてそのような時間的余裕はほとんどなかったこと、すなわち、前記のとおり、本件売買契約締結の直前にリーバーらが種々の新条件を提案し、一週間前後の激しい折衝の末、ようやく合意に達したものであって、その折衝過程において提案された売買条件や契約書案等を逐一和訳して原告らに提示することはほぼ不可能であり、現に、原告らにおいてもそのような正確な和訳文書を被告に要求しないまま前記認定に係る口頭説明等に依拠して本件売買契約等の締結を承諾したものであるから、被告が原告らに対し逐一右関係文書を全部和訳して交付しなかったからといって、本件コンサルティング契約上の債務について履行がなかったとは到底認められないものというべきである。)

また、原告らは、被告が原告らに対し、売主であるCSSAが作成した収支予想を被告の独自調査の結果のように偽って交付したかのように主張するが、被告が殊更そのように偽った事実が認められないことは前記一12の認定のとおりである。

(8) 以上のとおりであるから、本件売買契約の代金が実質的に一四〇〇万ドルとされたことにつき、被告が原告らに対し誤ったアドバイスをしたという事実はいまだ認められず、その点につき被告に本件コンサルティング契約上の債務不履行があったということはできない。

このことは、前記認定のとおりの本件ホテルの売買代金の決定経過、殊に吉田らにおいて、売主であるCSSA側に対し、売買価格を一四〇〇万ドル以下に値下げするよう再々要求したが、これを拒絶されていたこと、やむを得ずその代償としてウッドフィン社に三年間の収益保証を確約させるなどして、原告らのため誠実に売主側と折衝していたことなどからしても明らかというべきである。(いうまでもなく、売買については、相手方があり、その代金額につき売主と買主とは全く対立する関係にあるから、ある代金額で買い受けるかどうかは、最終的に買主自身が決定すべき事項である。本件コンサルティング契約があることによって、被告が原告らに対し、本件売買契約の代金が原告らの主張の「適正価格」であることを保証したものであり、仮にそうでなかった場合には損害賠償ないし損失保証をする旨を約定していたものというべき主張立証は全くない。)

原告らは、被告において、あたかも、原告らに高額な融資をしてその金利を稼ぎ、また、本件コンサルティング契約に係る手数料を得るため、ショバーグ鑑定の右価格や、CSSAの右売り値が不当に高額であることを知りながら、敢えて原告らに対しそれを秘して、右助言をせず、原告らが損害を受けることになるような本件売買契約を締結させたものであるかのような主張をしているが、右事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

(二) 相手方についての調査・助言義務違反の有無

原告らは、被告が、売主のCSSAが本件ホテルの業績が悪いことを理由に、平成二年一月一日から、本件ホテルのマネジメント会社を、従前のウッドフィン社の子会社であるウッドフィン・マネジメント社からグラハム・テイラー社に変更していた事実を秘し、本件ホテルのマネジメントはウッドフィン・マネジメント社が現に行っているものと誤信させて、同社とマネジメント契約を締結させたと主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、同年一月一日から本件ホテルのマネジメントはグラハム・テイラー社が行っていたことは、同年三月一二日ないし一三日のハル子らの第二回訪米の際に酒井会計士との話し合いの中で話題にされていたことが認められる。

また、マネジメント会社が変更されても実際の従業員は三人しか交替しておらず、ホテル経営の専門家である将久の印象としてもマネジメント会社の変更により経営が好転したという印象はないこと(証人阿部憲史郎の供述調書九八頁ないし九九頁及び同一〇七頁)、ウッドフィン・マネジメント社とのマネジメント契約を解約してグラハム・テイラー社とのマネジメント契約を締結してから一年半以上経過してからも本件ホテルの業績は好転せず、本件ホテルの業績が回復したのは、グラハム・テイラー社とのマネジメント契約も解約して原告ハルヨシが直接経営に乗り出した平成七年に入ってからであることに照らせば、ウッドフィン・マネジメント社がグラハム・テイラー社と比較して明らかに能力が劣っていたということは到底できず、そもそもハル子及び将久が本件ホテルを最初に実査した同元年一一月の時点において本件ホテルのマネジメントを行っていたのはウッドフィン・マネジメント社であり、ハル子らはウッドフィン・マネジメント社のマネジメントに好印象を持ち本件ホテルの買収を決意したという経緯があることからしても、むしろウッドフィン・マネジメント社のマネジメント能力は高度なものであったとすら認められないわけではない。

したがって、平成二年一月一日から、本件ホテルのマネジメント会社を、従前のウッドフィン社の子会社であるウッドフィン・マネジメント社からグラハム・テイラー社に変更していたことにつき、被告がこれを殊更に原告らに告げなかったという事実は認められず、そのことについて、被告に本件コンサルティング契約上の債務不履行があったという原告らの主張は採用の限りでない。

(三) 契約内容についての調査・助言義務違反の有無

(1) 収益保証契約について

a 原告らは、本件売買契約の実質的な売買代金が一四〇〇万ドルであったにもかかわらず、収益保証契約の基準額が一三五〇ドルとされたことにつき、その差額五〇万ドルの九パーセント(四万五〇〇〇ドル)の三年分の合計一三万五〇〇〇ドルの収益保証を受けられなくなったのは、被告が契約内容についての調査・助言義務に違反したことから生じた損害であると主張する。

確かに、前記認定のとおり、実質上の代金は従来通り一四〇〇万ドルであったから、収益保証の基準額が五〇万ドル分低下したことのみを見れば、その分原告らにとって不利な内容に変更されたといえる。

b しかし、前記認定のとおり、被告は、ラモア弁護士らの助言により、代金一四〇〇万ドルとしたままで五〇万ドルをエスクロー預託するという方法では、ウッドフィン社が倒産した場合、預託した五〇万ドルが破産管財人の管理下に入ってしまい、担保の意味がなくなることを憂慮して、急遽名目上の代金を一三五〇万ドルに減額し、五〇万ドルは支払を留保して、ウッドフィン社の収益保証の履行の担保とすることに変更したものであり、そのため名目上の代金額が一三五〇万ドルになったことに伴って、前記のとおり売主側との間の厳しい折衝の末、結局収益保証の基準額も右名目上の代金と同額に減縮することにされたものである。そして、右五〇万ドルをエスクロー預託した場合には、ウッドフィン社が倒産した場合に右五〇万ドルが破産管財人の管理下に置かれてしまう危険があり、一方、右変更に係る支払留保の手法であればそのような危険はない(甲九の1、2)ことと対比して見れば、右変更をもって原告らが一方的に著しく不利となったということはできず、いずれにしても、売主側との交渉によって合意されたものであるから、右変更の点につき、被告に契約内容についての調査・助言義務違反があったということはできない。

c すなわち、もとより、五〇万ドルを支払留保にした上で、収益保証の基準額を実質代金一四〇〇万ドルとすることが可能であれば、それが最も原告らの利益に適う契約内容であることは明らかであるが、前記のとおりの売買交渉の経過があり、原告らの本件ホテル購入意欲が相当に強く、売主の代理人であるリーバーらが原告らの足元を見て他にも買主がいる旨を示唆して売主側に有利な契約を締結しようとしていたことなどからすれば、やむを得なかったものというべきである。前記のような相手方のある売買交渉につき、被告が原告らにとって最も有利な契約を締結することができなかったからといって、そのことをもって直ちに被告に本件コンサルティング契約上の債務不履行があったとすることのできないことはいうまでもない。

d 右に関して、原告らは、被告が原告らの承諾なく、かつ、原告らが知らない間に契約内容を変更して本件収益保証契約を締結してしまったかのように主張するが、前記一16の認定のとおりであって、右主張は採用の限りでない。

(2) マネジメント契約について

a  原告らは、本件マネジメント契約の内容が、当初の三年間は解約できず、その後も解約手数料を必要とする契約に変更されたことをもって、被告に債務不履行があった旨主張する。

b しかし、ウッドフィン社は、CSSAに代わって原告ハルヨシに対し三年間にわたって毎年売買代金額の九パーセントの収益を保証するものであるから、ウッドフィン社が収益保証期間中にマネジメント契約を解約できないようにし、収益保証契約期間終了後も解約手数料を必要とするようにマネジメント契約を変更するように要求したことは、あながち不合理なものとはいえず、また、その交渉当時原告らの本件ホテルの購入意欲が強まっていたことなどから、被告において、本件売買契約の締結交渉が決裂する危険を冒してまで右要求を拒絶することができなかったことは一面やむを得ないことというべきであって、およそ相手方のある売買交渉につき一方のみに有利な契約をすることは至難であることからして、右のような内容のマネジメント契約を締結したことをもって被告に債務不履行があったという原告らの主張は到底採用することができないものである。

c そして、右の点についても、ハル子らが平成二年三月三〇日に岩永弁護士から説明を受けていたことは前記一16の認定のとおりであるから、右収益保証の内容につき納得できなかったのであれば、原告らの自己責任において、本件売買契約及び前記関連の契約の締結を回避すれば足りたものである。

(3) また、前記認定のとおり、被告は、原告らに対し、本件売買契約以前の段階で、最終的な売買契約書を和訳したものを交付せず、マネジメント契約書、収益保証契約書及びフランチャイズ契約書に関しては一切和訳したものを交付しなかったことが認められる。

しかし、この点についても前記のとおりであって、本件コンサルティング契約上、被告において右のような書面を逐一和訳して原告らに提示しなければならない義務を負っていたとまで認めるに足りる的確な証拠はなく、前記認定の売買交渉の時間的な経緯からしても実際上そのようなことは不可能であったことが明らかであり、しかも、原告らにおいても、その当時右和訳につき被告に対し格別積極的に要求したという痕跡がなく(これを認めるに足りる証拠はない。)、一方、前記のとおり、岩永弁護士及び吉田らは、原告らに対し口頭で右各契約の主要な概要を告知していたことが認められるから、被告が右各契約書の和訳を原告らに交付しなかったことをもって被告に債務不履行があったとすることは到底できないものというべきである。

よって、右の点につき被告に契約内容についての調査・助言義務違反があったという原告らの主張も採用することができない。

(4) 以上の次第であって、被告が契約内容についての調査・助言義務に違反し、原告らに不当に不利益な内容の契約を締結させたという債務不履行を認めることはできない。

三  結論

以上のとおりであるから、本件全証拠によっても、被告に原告ら主張の債務不履行のあったこと及び本件解除に正当な解除原因のあることが認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤剛 裁判官市村弘 裁判官中村心)

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